元々みな善人になる素質を持っているか否かという話なんだろうけど、私は性悪説を信じている。
人間の本能的欲求が顕になる場面で、私は善を感じたことがない。
寧ろそこに理性的に抗う姿こそ美しく思える。
高校生の時、音楽の先生が「睡魔に屈せず抗おうとかくかくしている姿が美しい」と言っていたことも、とても印象深かった。
自分にとって都合のいい「楽」を選ぶことに抵抗する力は必要だと思う。
正義感や反骨心が強い私に「楽じゃなく楽しいを考えて」というソフトな言葉をくれたのは木兎だった。
すぐ無理だと諦める人に対しても、「時間とお金の使い方が下手なだけだ」「体力がないだけだ」と思ってしまうけれど、そんな時「ムリではなくムズカシイである」という言葉が過ぎって冷静になれる。
ちょっと調子に乗った時、謙虚な気持ちにさせてくれる。
バレーボールはもちろん、彼らの人間力と精神力の高さには毎度驚かされている。
私のようにマイナスからはじまって0に向かう努力をするというより、0から上へと羽ばたいていくように見えた。
嫌な人が一切出てこない。
ここにリアリティを感じない人もいるかもしれない。
だけど、苦しいことや耐えることが努力ではないし、楽しいことが楽ではない。
高校の卒部式で、先輩が「全国に行くためにはきつい練習を沢山しなきゃいけないって言われて」と泣きながら話をしていたのを覚えている。
なんじゃそりゃ。
楽しむのが怖かっただけだ。
ちょうどその頃オリンピックで、カーリングの選手が失敗したのに笑っている!と炎上したことも覚えている。
「自分たちを鼓舞するために笑っている。ミスしても苦しい顔をしないようにしている。」
そう言い切る選手はかっこよかった。
きついだけで頑張った気になりたくない。
嫌な人がいなくても自律できる強さを身につけたい。