ちまちまと綴っていたブログも、
1年ほど更新が絶えた。
それはきっと私が寂しくなかった証拠で、今を懸命に生きていた証拠で、そして何より人と向き合ってきた証拠だ。
私が本を読むのは、心が満たされない時だった。
文章を書くのは、何か訴えたいことがある時だった。
何がきっかけでもない、ただ漠然とした、
空に向けた婉曲的な言葉。
思い返せば、上京して多くの人と関わるようになってから、私のポリシーであった丁寧な関係の構築が出来なくなった気がする。
いや、出来なくなったというのには語弊があって、意図的に雑にしていたのかもしれない。
まだ未熟な私は、その雑さこそが、私の肩の力を抜くものだとばかり思っていた。
しかし、実行してみれば、それは寧ろ私には負荷のかかるものだった。
負の連鎖は続き、ありきたりでチープな言葉でのコミュニケーションが続く。
私が求めていたものは、そうではない。
もっとやわらかく、優しく、上品なものだ。
簡単に済ませようとするとつけが回ってくる。
ファストフードもフードコートも苦手なのに、あまりにも無理をしすぎた。
野菜もしっかりと食べる健康な習慣に、体が慣れていたのだ。
そんな曇りがかった生活の中、急に現れた太陽
私の人生に必要な栄養で、光
それはメロディにのってやってきて
私の心にまたたく間に花を咲かせた。
敬遠していた清水翔太の曲も、彼がメロディーにのせれば忽ち心を潤す。
サビしか聞いた事のない曲も、思い入れができて、いつしか好きなフレーズまでできた。
音楽を愛し、音楽に愛された人だった。
でも、決して忘れてはいけない。
太陽に近付きすぎて身を焦がさぬよう。
それだけ留意して、手を伸ばす。
神のまにまに
天岩戸伝説では、洞窟に隠れてしまった天照大御神を鏡や神楽で誘い出し、光を取り戻したという。