自戒

私の見えている世界は狭い。

 

人間が辛くなるのは視野が狭まっている時だ。

何かを自分だけの基準で判断することはよくない。

 

だから、先述したものも厳密に言うと

「私は、人間が辛くなるのは、視野が狭まっている時だと感じている。」

 

自分の基準で当てはめて、ばさりと切ってしまうと、自分を肯定してくれる人しか集まらない。

そして、自分の考えはみるみると固まってしまう。

 

ここに対する恐ろしさのようなものを、最近感じることが多い。

世界は広いのに、自らで狭めてしまってはいないか。

 

意見の合う、仲のいい友達だけで固めていたその小さな世界は、かつては居心地が良かったけれど、自分が成長できる環境ではないと思う。

 

例えば、私は自分の考えを言語化できない人と関わるのが好きじゃない。

 

特に、言語化出来ないのにも関わらず、そのむしゃくしゃした気持ちを怒りとして放出するタイプには嫌悪さえ感じる。

 

そういうタイプはとても心が弱い。

 

それを受け入れるだけの許容量がないから、自分の心を守るために、反省することを拒絶するのだと思う。

 

どうやったら割り切れるか。

私は正直、見下すことしか出来なかった。

 

言語化出来ないならまともに取り合う必要がない。理解しようと思う必要がない。

 

しかし、過去の自分に言いたい。

その自分の見ている側面だけを見て、その人のことを判断するような傲慢な人間になるな。

 

昔ファミレスでアルバイトをしていた時、クレーマーには「この人は昨日母親が亡くなった」といったように、想像で同情してしまうような情報を補足していた。

 

それに近いと思う。

 

その人の言動が苦手だなと思っても、絶対自分よりも長けている部分があるはず。

 

例えば、言語化するのは上手くなくても、歌や芝居、ダンス、写真などでは表現出来るのかもしれない。

 

芸術において、寧ろ直接的な言葉にするのは野暮だという場面はやまほどあるだろう。

 

言葉が武器では無い相手に対して、論破して、糾弾した先に何がある。

 

様々な人間が共存していく中で生きていくためには、謙虚に、新しいものを受け入れ、進化していかなければならない。

 

私はそれを生き様で教えてくれる父親が欲しかった。

 

 

劇場版コナン2024 備忘録

 
まじっく快斗

 

川添刑事はずっと盗一だけど
最後、カドクラに銃を撃ったのは快斗?

 

だとすると、福城家なんかでは、盗一はずっと快斗の傍にいたってことでしょ。


そんな……あなたの息子は、あなたの死の謎を知るために、まだ高校生だというのに覚悟を決めて責務を全うし、犯罪にまで手を染めているというのに〜!ぐぬぬぬ……え、寺井は知ってんの?

 

青子、ずっとコナンが気になってて可愛い。
快斗にそっくりだもんね。

(ちゃんとまじ快の作画だったのも良かった)

 

お父さんが意識を取り戻した時、もし傍に快斗がいたらそのまま泣いてただろうけど、頬を叩いて人を呼びに行くの強いね。好きだ!

 

快斗も堂々と傍にいてあげれなくてごめんねと思っているよ!

新蘭、平和、快青で快斗が一番青子を思っているって知ってる。

 

大胆不敵な怪盗キッドが、瞳孔開いて声を荒らげてでも中森警部を守ろうとするの、だって大切な人のお父さんだもんね…

あの姿は怪盗キッドじゃなくて、黒羽快斗だったよ。

 

土方歳三

 

コナンのあの作画に、

津田健次郎の良すぎる声、浮きすぎている……!

 

土方さんの愛刀は兼定だもんね!!!そうだね!!!兼さん!!!(とうらぶ通ってるオタク)

 

洋ちゃん

 

洋ちゃん声優うまい?


演劇人だからねぇ!

(天海祐希キュラソーも良かったから)

そして、レイトン教授グリンチで声優してる実績があるからね〜!

 

コナンの映画鑑賞後は毎回「〇〇済」って言うけど、オタクの中で「おおい済」が流行ってるの面白すぎる。愛されてるな〜!

 

グリンチと言えばベネ!
怪盗キッドのテーマ曲、BBCSHERLOCKのテーマ曲にちょいと似てませんか?

 

ハイテク


コナンのスマホSonyXperiaなのに、HDMIコード繋げなくても無線でモニターに繋げられたり、目の前のスマホairdrop出来るのハイテク!

 

園子、いつからそんなシゴデキ女になったの?

それ今まで哀ちゃんのポジだよね?


平次が「流石」って言ってたのも、財閥の権力というよりも、データ化してあるって所にかかってた気がするからな〜

 

過去作品絡み

 

刀を振る音とか、鞘に収める時の音とか、バイクの音とか、和葉の耳が良くなってたのはから紅があったからだし

強男達がお寺で無数の敵と戦う感じはクロスロードっぽかったし

居合の親指元の傷は
弓道やってる人の矢枕っぽかったね。

 

福城

 

斧江忠之の写真の中にセスナがあったけど、もしかして聖がセスナ運転出来るのって…ハワイで親父に?!(大ボケ)

 

聖って父親とあんまり仲良くないよね。
運気がどうとかには飽き飽きしちゃうよね、こちとら医学部生やぞ、とな!医学的根拠を申せ!

 

その分、お母さんだいすきだよね。
お母さんのためと思うしかなかったんだよね。

 

聖はまた出てくる、だってcv松岡禎丞だから。

 

そして、コナン公式はオタクが騒ぐと「はい、どうぞ」って供給するから(悪い例:警察学校組)

 

お宝が暗号解読機で、福城良衛が「こんなもののために」って言った時、古城に隠されたお宝が景色だった時の事件を思い出したね。

 

和葉は強い

 

スタングレネード見て反射的に平次の耳を塞ぐ和葉、流石……平次の好きな人だ……

 

人魚の時もそうだし、あなたはいつもそうやって自分を犠牲にして平次を守ろうとする強い人だ……


おい平次、スタングレネードって分かっとるなら庇わんかい!

 

でも告白の言葉はめちゃくちゃ良かった…

そしてaikoの相思相愛が流れるのも良かった。

 

でもあの歌詞、どっちかというと和葉目線で可愛い。言っとくけどまだまだ和葉からの気持ちの方が強いからな〜!

 

キッドは名脇役

 

平次、あんたが和葉(中身キッド)にキスしようとしたんに、なんやその被害者ヅラは〜!


ほんでその勝手なキスの借りを返すキッド

心広すぎ。ビッグジュエル。

 

キッドって名脇役だよね。
コナン映画では毎回自分は目立たず、助けてくれるもんね。
だってあなたはまじっく快斗の主人公。

 

新一と快斗

 

新一と快斗が従兄弟にあたるのって、

誰が知ってて誰が知らないんだ…?

 

新一は分かっているとして、

別の方のふせったー読んだら、

有希子が快斗に「おばさん」って呼ばれて嫌がってるのを見て、ぽかんとしてたらしく。


もしかして快斗は「叔母さん」って呼んだってこと……?

 

そして、有希子とベルモットは盗一から変装術を習っているので面識はあり、有希子は知らないにしても、ベルモットは実はもう知ってるんじゃないか、とも思ってる。

 

 

蘭のアシストもめっちゃよかったね…!
平次が持ってるマップ、ちゃんと凝視してたのも!流石!新一の彼女だね!

 

ビッグベンで告白した時の構図、蘭と和葉でオマージュみたいなものもあったね。

 

電話で函館山に誘われてる時に嬉しそうなのも、パラシュートで降りてきた平次にあわあわとしてるのも可愛かった!


そして聖を手刀で眠らせひょいと担ぐ。

 

その他

 

掛け軸受け取るドライバー(本物)は商店街のくじで休暇中、川添刑事(本物)も商店街のくじで当たったミステリーツアー。商店街のくじ、多くない?

 

巫女の吉永神子、めちゃくちゃ都合いいけど本当にただのモブ……?聡い子じゃ……

ラッキーピエロで大事な話すな。

ずーしーほっきーもびっくり。

ONちゃんも出てくれてよかったけどね、札幌じゃないから無理か。是非いつかHTBへ!

 

100万ドルの夜景と聞いて

目を輝かせる大阪府警警視監の息子服部と、

「意外と安いけど」な元公安である伊織を執事として雇う桁違いな金持ち紅葉。

 

伊織はcv小野大輔の執事だけど

から紅の時からオタクはみんな思ってるよね。

「セバスチャンやないかい」

黒執事 寄宿学校編!はじまりますね!

 

遊佐浩二津田健次郎小野大輔(字余り)
贅沢すぎるやろこの映画

 

さて来年は諸伏高明ですよ。

長野県警だいすき、風林火山だいすき。

 

高明の兄である景光、スコッチは実は生きているんじゃないかという説がありますからね。

 

今年は「盗一生きとったんか?!」やけど、来年は「ひろ生きとったんか?!」やったらどうしますか、あまりに想像出来すぎてないとは思うけど。

 

今年の映画は全体的にごちゃっとはしてるけど、オタクの夢、恋、桜、Japonica style

 

 

何者

 

ポジティブな時に書こうと思っていたら、ポジティブになるまでに随分時間がかかってしまった。

 

もう一週間も風邪をこじらせて、咳のせいで鳩尾が筋肉痛にもなったが、観たいお芝居があるので、息を止めて観劇する。

 

ただでさえスマホのバイブ音が嫌いなのに、劇場でスマホを鳴らす人は何を考えているのだろうと思う。

 

劇場は、感受性が豊か故に普段生きづらい人間が、ひとつのものに集中して、感受性をMAXに出来る場所なんだ、だから邪魔をしないでつかあさい。

 

今日は、そんな神経質な話。

 

人間観察なんてする人の気が知れない。

外出する時は人の表情が見えないようにコンタクトをつけないし、会話が聞こえないようにいつもイヤホンをしている。

 

一時間半かかって施したメイクも、何か気に食わなくなって家を出る十分前に落とすこともある。

 

中学生の時、美術の時間を使って描いた絵を、前日に持ち帰って、夜な夜な黒く塗りつぶして、上から全く違う絵を描いたこともあった。

 

私のような人間が、社会にはごろごろといる。

 

芸術に才があって、それを極められるような努力が出来れば良かったかもしれないけど。

 

そうだ。

才能は開花させるもの センスは磨くもの。

 

私のような器用貧乏には

そんな彼の言葉も、どこか眩しい。

 

私はきっと、歳をとっていくうちに、やっぱり諦めがつかなくて、一般社会を出ようと試みるのだと思う。

 

でもそれはずっと先の話。

 

ある程度の所得や体裁を保っていては得られないものだと分かっているから。

 

こだわりが、何かに活かせればいいのだけど、飽き性な私は未だに何をすればいいのか分からない。

 

私には夢がない。

 

小学生の頃は、ただ漠然と、自分は将来何者かにはなっているものだと思っていた。

 

今の私は何者だろうか。

 

息絶えるまでに、他人にとってまではいかなくとも、自分にとっての何者かにはなれるのだろうか。

 

一方で幸いにも私はポジティブな私は自分を独り占めしたいから、他人にとっての何者にもならなくてもいいのかな、とも思ったりもした。

 

特に「妻」とか「母」とかには。

 

といいつつ私はPROJECT27をスタートします。

 

※PROJECT27とは

訳あって27歳までに苗字を変えたい私は、旧姓に戻す手続きが面倒なので、この際経験として結婚出来たらいいな〜と思って企てている計画

 

 

男女の友情は成立するか

 

男女の友情が成立するか否かは

男女というよりその人達の関係性によると思う。

 

よくここで「本能的なものだ」とか「脳科学がどうだ」とかいう話が持ち出されることがあるけど、信憑性のある記事や文献を読んだことがないので一旦置いておく。

 

私は成立するタイプ。

 

成立しないのであれば私の男友達は何者

「知り合い」と呼ぶのはあまりにも薄情すぎる。

 

男か女かで分けるのって失礼だと思うけど、

関わり方が違うから、女友達も男友達も必要。

 

私は相談が苦手だから、

基本的に何か嫌なことが起きたら、自分の中でまとめて、解決して、それを事後報告するんだけど

 

何故か男友達には渦中に相談が出来る。

 

今こういうことが起きていてどうしたらいい

だとか

これは平気だけど、これが辛い

だとか

 

今これを読んではいないと思うけど、

中高時代は本当に真摯に話を聞いてくれてありがとうございました。私の男友達よ。

 

高校の文化祭で劇をやった時に、褒めの長文LINEをくれたのも全員男友達だった。

 

私はそのストレートな優しさに結構救われてきたんだよ。

 

今思い返せば、人として好きで信頼している異性に恋愛感情を持ったことがないかもしれない。

 

私にとって恋愛は友愛より下なのかも。

 

そんな大事な友達を、いつか終わりのくる恋愛ルートにいれるのは勿体なさすぎる。

 

だから友情が成立しているのかもしれない。

 

一方で、好きな芸能人

所謂「推し」はどうだろう。

 

直接関われないから友情を育むことは出来ないけど、一方的な情報の供給によって内面を知り、人としての魅力を感じることが出来る。

 

だからきっと好きでいられるのだと思う。

 

でも恋愛感情が混じると直ぐに飽きてしまうし

いつか自分の中でけりをつけて切ってしまうから

恋愛感情を交えず、末永くよろしくお願いします。

 

時間を守らなくなった話

 

私は時間を守る。

基本的に待ち合わせには相手よりも先に着いていることが多い。

 

それは母からの教育。

「人を待たせてはいけない」ということは物心ついた時から常々言われていて、例え家族に対してもそう。

 

時間に余裕を持って出る。

それがうちでは当たり前だった。

 

だけど、多分私は元々そういうタイプではない。

余裕を持つよりオンタイムがいい。

 

例えば、

待ち合わせに間に合う時間に出ていたのに、電車の遅延で遅刻した場合、

それは私が原因ではなく、電車の遅延というトラブルが起きたからこその結果。

 

いたしかたない。

 

一方で、私の友達は時間を守らない人が多い。

それは私の精神にとってよくなかった。

 

どうせ遅れてくるならもう1本後の電車に乗ればよかった。

もう1本後なら乗り換えで待つ時間もそんなになかったのに。

この時間に間に合うためにわざわざ調整したのに。

とか、不満が出てくる。

 

きっと、自分が無理をして時間を守っているから、それをしてくれない相手に対して腹が立っていたんだと思う。

 

私は無理をしてまできたのに、あなたはそれを私にしてくれないの?まで思っていた。

 

(精神疾患を持つと「なんで私はこんなにしているのに、返ってこないの?」という思考になりやすいです。みなさんお気を付けて。)

 

そこで私は「ish」という言葉を知った。

例えば11-ishなら11時「くらい」という意味。

 

これからは1本前の10:38に着く電車じゃなくて、11:03に着く電車でいい。

おまけに、30分に1本しかない地元と違って、東京は3分待てば次の電車が来る。

 

心が軽くなった。

 

他人は変えられない。

 

「時間を守ること」がどんなに正しいことだとしても、それを他人に強要するのはとても疲れるし、独りよがりで悲しくなる。

 

だから自分のかたい所を少し柔らかくすれば、傷付くことも減るんだと思う。

 

 

 

 

舞台 夜明

はじめに

 

私は小劇場の演劇が好きです。

 

小劇場演劇というのは、一般的な定義づけはされていないものの、小さな劇場でのお芝居だけでなく、演出家を主宰としたお芝居のことをいいます。

 

また、娯楽的要素が強い商業演劇とも違います。

大きな劇場でやるミュージカルとか、思わず歌ったり踊り出したくなるような楽しいお芝居ではありません。

 

小劇場の多くは、主宰の伝えたい思いが詰まっていることが多いです。

風刺がきいていることもあるので、エンターテインメントとは違います。

どちらかというと、絵画のようなものだと思っています。

 

私は大学で小劇場の演劇を専攻していました。

 

大泉洋の所属しているチームナックスが好きで、卒論もナックスと北海道の人情味のある小劇場のお芝居のことを書きました。

 

また、応援していたジャニーズJr.のAぇ! groupの冠番組が、関西の小劇場の主宰を招いてお芝居をするものだったこともあり、関西のお芝居を観ることも増えました。

 

その番組、THE GREATEST SHOW-NENは3月9日をもってレギュラー放送が終了となってしまいます。

 

だいすきな番組でした。

 

小劇場のお芝居は、有名タイトルを使うこともないし、有名な俳優も出ない、おまけに小さな劇場で行われるので、正直取っ付き難いです。

 

でも、新劇や商業演劇では得られないエネルギーがあります。

 

だからこれからもずっと続いて欲しい。

 

そんな小劇場のお芝居へ想いを馳せながら観た公演が、ソフトボイルドの3周年記念公演「舞台 夜明」。

 

よくある話ですが、ソフトボイルド記念公演と言っても、全員が劇団員という訳ではなく、他の劇団や俳優を客演として招いての公演です。

 

かという私も、ソフトボイルドのことは知らず、客演として招かれていた小坂涼太郎という俳優目当てで観に行きました。

 

読書においても、好きな作家中心に読んでしまうし、観劇においても、好きな劇団中心に観てしまう私にとっては、こういう機会は有り難いものです。

 

おかげで、すごくいいお芝居が見れました。

 

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舞台 夜明

 

高杉晋作桂小五郎を中心に物語は動いていく。

描かれるのは、長州藩薩摩藩が未だ対立していた時から、禁門の変を経て、薩長同盟を結び倒幕まで。

 

幕はなく簡易的なセット、スピーカーからひび割れるBGM、わずか167席の小さな劇場に響く役者の大きな声。稽古を重ねたであろうテンポのいい会話と間。そして整った殺陣。

 

観客も息をとめてしまうような静と、

思わず体が動いてしまいそうになる動と。

 

お金がかかっていなくても、

名が知れていなくても、

そんなことがどうでもよくなるくらい。

 

志を持ってお芝居をしている役者だからこそ

志を持った役を演じられるんだ。

 

私は役者のことを媒体だと思うことがある。

 

役者のことを好きだと、どのシーンの演じ方が良かっただとかいう見方をしてしまいがちだけれど、きっと彼らが見てほしいのは自分じゃない。

それならば、我々観客も役者ではなく、役者を介した人を見たい。

 

時に役者は、私達は決して会うことが出来ない偉人に会わせてくれる。

 

役者自身が自分の演じる人に敬意を持っていれば、観客にも自ずと生まれてくるもの。

それはどんなに上手く演じようとも観客には分かるもので、誤魔化しようのないもの。

 

観劇中ふと、

今の日本に坂本龍馬がいたら

と考えた。

 

解決策とは時に、常識的に考えて難しいとされることの中にあるもので。

 

彼らが身を犠牲にしてまで得たものを、環境を、私達は驕らず守り続けているだろうか。

 

そんなことを思いつつ、散っていく藩士に涙した後のカーテンコール。

 

座長は

 

この物語は、少し脚色はあるものの史実で

多くの偉人が奮闘し、命を落としていった。

 

時代が変わって現在

流石に刀を持って戦うことはないけど、自分たちなりの向き合い方があるよね。

 

選挙へ行こう!

 

って話をしていた。

 

私はずっと、

先代が汗と涙と、時には血を流してまで獲得した権利を、現代人の私達がみすみす手放してしまうことは悲しいことだと思っていて。

 

はじめて同じ意見を持った人に出会えたと思った。

 

そして、お芝居で伝えているんだと思うと本当に格好良くて。

 

こういう人に出会うおかげで私は驕らずにいられるし、明日も頑張れるのだと思う。

 

ある程度の命が保証されたこの時代、この国に生きているのだから自分なりに奮闘し続けたい。

 

感情を抑える理性と、相手に自分の考えを正しく伝えられる言語化する力と

物を広く見るための知識と想像力

 

少し調子に乗ってしまった時に、はっとされるようなお芝居が観たいから、私はまた小劇場のお芝居を観るんだ。

 

 

価値観

価値観の違い

 

それはカップルの別れる理由にもなると聞く。

 

私はそもそも好きな人に「かっけー!愛してるぞー!幸せになれー!」って一方的にするのが好きなので、あまり豪語出来ないのだけれど。

 

価値観の違いで別れるものなのか?と思う。

 

おっと、これが所謂価値観の違いか?

 

相手が理解出来ないんじゃなくて、自分がそういう人を選んで付き合っているんだから、それは自分次第ではないかな?と思う。

 

他人に自分の情緒を握らせるのは危険じゃないかい?

 

とどのつまり、私が言いたいのは「価値観の違い」という言葉に逃げてない?ということ。

 

価値観の違いで議論する時、その考えと根拠、その考えに至る経験までしっかり話し合ったのだろうか。

 

「私は嫌だ」「俺は平気」「理解出来ない」「価値観の違いだ」

 

そんなことを繰り返しているのなら、なんて稚拙なコミュニケーションのとり方なんだろう。

 

谷地ちゃんの言葉に

「今までに無かった思考を思い知るのは
痛気持ちいいです。」

というものがある。

 

自分の視野の狭さを痛感しつつ、新しい景色が見えて、もやもやしていたことが、すっと昇華できる。

 

凝り固まった価値観を解してくれるような、肩の力を抜いてくれるような人が好き。

これからずっと関わっていきたいなと思う。

 

私はまだ23歳だから、知らない経験、感情、沢山あると思う。

 

でも、歳を重ねて沢山の経験をしたからと言って、歳下の人がした経験を自分もしたとは限らない。

 

だから、いつまでも成長し続けるには、相手を尊重して話し合うことが大事だと思う。

 

成長することをやめれば、人間は退化する一方。

いつも自分の意見が正しい訳じゃない。

 

もやっとしたことは愚痴じゃなくて、冷静に言語化して落とし込んで、糧にしなきゃいけない。


だから、考えもなしに言葉を投げ捨てる人に、最終的に私が負けるわけないよ。

 

さあ、いつでもかかってこい!